日帰り出張で関西へ行く (帰社前の京都駅 京都茶寮にて)
わずか1日だけだが、久しぶりのひとり旅気分である。
当然、旅行に来ているわけではない。
新規事業関連の可能性を模索する第一回目のセッションである。
勿論、このセッションが今日限りで終わりでも一向に結構だが。
現場主義が災いして、未だに自分の目を頼りに動く。
単独で動く私には周囲の幹部連中からしたらさぞかし不透明で嫌な御仁だろう。
当日モバイル端末の遠隔モニターで無人の本社会議室を覗くと、先週私が書いた
ホワイトボードの文字が消されずに残っていた。
彼等(幹部連中)はそのままパクる気かも知れない。
良いけどももしそうならずるい怠惰な奴等だ。
それなら同じ事を言った8年以上前にパクれと言いたい。
組織の中での人間の成長とは一体なんだろう。
素直な顔をして何年も聞いているふりをしながらも、実は言われた事を忠実に実行し、
時が風化すると機械的にスルふりをする。
これが組織でのキャリアの積み方ならもう終わっている。
北斗の拳ではないが既に死んでいる。
また、分不相応で自己認識の欠落を理解しない者も年齢問わずに昨今は多い。
還暦が見えて来た私も例外ではないが、ひとの良い子達なのが救いだ。
しかし社会では時としてそれらに容赦ない仕打ちをする。
また組織では上層に行くにつれて、権力者や影響力を行使する人間の顔色を見ながら
人々は日々営んでいるように見える。
複数の業界組織を知って30年を超える私でもそれは理解できる。
しかし、最初は顔色でも良いが最終的には思考の色を見定めるべきだ。
そして見切りをつけるかどうかは常に当事者たる自分自身が決めるのである。
見切りをつけると環境が自由に選択できるかに見えるのが人によって数年続く。
過去転職数が二桁となる私の場合、それが常に他者批判に基づく責任転嫁であり、
自己完結型の生き方とは到底縁遠い事実を後年ひしひしと気づくことになる。
悟らない私は組織を転々としたり、機会ごとに起業のお誘いに首を突っ込んだりした。
元来私は原則的にイデオロギーや宗教心にあまり左右されない。
関心がないと言うより、周到に装飾された虚構ツールでしかないと今でも思う。
だからいかつい顔で従順なそぶりはするが、実のところ青年の頃から己しか信じない。
現代社会をピンハネして生きる下水道に生息するネズミと同じ習性だ。(子年だが)
早熟だった35年前に知人の禁断の誘いに乗り、所属していた宗教団体も例外ではない。
不信心だが実際その教えよりも組織の規模や、資金力そして豊富な傑出した人材が魅力
だった。
とにかく如何なる環境下でも私の周囲は有能で良い人が多かったことは事実。
しかしいつも胡散臭く感じたのは常に上層の人々だ。(そうでない人もいたが)
だから数年して人手不足で本当に上層になる前に見切りをつけた、いや逃亡した。
神を信じるかと言われても、当時から今更何かという気分だった。
ニキビのある自衛官時代に手違いで怪物だらけの合宿部隊での数ヶ月で、心身共に
生死を彷徨いどん底のメンタルの中で神と称する存在の声を聴いただけだ。
生死をかけることとは、ある種の戦いと信仰を凝縮した表現だと今でも思う。
その中で神の声とは空腹で腹が鳴るように、腹から発する自らの声帯で我に向かって
話しかけて来る様相だっただろうか。
上手く表現出来ないが。
昨今それぞれの分野で活躍されている人なら、日常に実感されていることと思うが。
私もあの時の体験以来、常に偶然を必然として日々を送り、今尚お世話になっている。
神と言うべきか信念と言うべきか、それを探求する一環で教典や仏典、そして聖書を
幾度読んでもそれは言葉の表記配列に過ぎない。
学生時代からコツコツ意図的に学んで来た歴史もそうだ。
これらは書物に記されたものであって、日常の匂いがする現実のものではない。
如何なる書物からも文中以外の現実を見出せることは至難の技だ。
ましてや最近の古文者や過去の発禁・焚書の類は高額で困ったものだが。
実は宗教や実生活を問わず信念なるも同様であり、日々の人生もこれまた同じだ。
あえて暴言を許されるなら殆どが虚構ということかも知れない。
だからニーチェは、「信念は嘘よりも危険な真理の敵」とみなしたのか。
歴史書・古文書に書かれたものや、口伝のみの認識では現実をはかり知ることは難しい。
しかし知識のゴールは現実を当事者認識する上ですべからず定まってくるものだ。
もし現実がおぼろげながら視界に入って来たら、疲れていても先へ進んでみること。
運が良ければ、真実に遭遇することができるかも知れない。
ただし真実に対峙することほど勇気を要するものはない。
人はその勇気をあらゆる諸事情に見立て自己保身をするため、あえて避けようとするのだから。
もし私がこんな空間に安堵しているならもうこんな己にはつき合わないつもりだ。
6月の某日 京都駅にて