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伊勢神宮と皇室1000年の空白

第6節 大海人皇子と海人族

海人族とは壬申の乱以来の大海人皇子を擁護した国人と同じで、尾張族を始め丹波一宮、また三重の度会氏らの神官一族もみな海人族の末裔又は姻戚関係と思える。

元伊勢である丹後一宮の籠神社の奥宮である真名井神社には外宮と同じ豊受大神宮が鎮座している。

あまりにも後世においては静寂の中にあり地味な史実である。

阿波忌部氏の直系である現当主の三木氏の三木信男氏が、籠神社の82代宮司海部氏と懇意にしているのは単に個人的な繋がりだけでないことはいうまでもない。

阿波忌部の徳島では海人族の海部(あまべ)を海部(かいふ)と読んでいる。

阿波忌部はもともと海人族ではないが、職能的な差異を相互補完しあった共同体であって要は物部、秦氏同様一種の姻戚関係のような関係だったのではないか。

77代目の総理だった海部首相が中部出身だった事は周知のとおりだが、海部氏は徳島出身の66代目総理の三木首相の秘書時代がある。

三木夫人から首相時代もちゃんづけで呼ばれて親子のように親密だった。

三木首相も後の副首相の後藤田正晴氏も共に阿波忌部氏の系統になる。

海人族である海部と忌部のつながりを連想できるエピソードだ。


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