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伊勢神宮と皇室1000年の空白

第7節 神宮の皇室参拝と熊野神社

天智帝側の時代が確立してしまうと、天武帝の勅命で建立された伊勢神宮に皇室は参拝しなかったということだろうか。

皇室最大の危機といわれた道鏡の事件でも、御神託を仰いだのは九州の宇佐神宮だったことをはじめ、後白河法皇は33回も熊野神社詣を行ったのに伊勢詣は一切ない。

また蛇足になるが熊野神社は皇室の建国神話とも無関係ではない。

ところで熊野と言えば三本足の烏が有名だ。

生前譲位が話題になっている昨今だが、天皇の即位で一番重要な大嘗祭は伊勢神宮は一切関与できず、京都の下鴨神社が準備を取り仕切り、同族である阿波忌部の直系のみが ※ 「アラタエ」

の貢進の儀を行うことが今尚続く、天皇即位のための厳正な律格である。

そもそもこの儀式が正式に始まったのが天武・持統帝のときからと言われている。

※ http://www.honmono-m.com/asa/entry14.html

古事記には神武東征の際に神武天皇が熊野(通説では現在の和歌山県)の山中で迷った時に烏が道案内して難所を越え、ナガスネ彦を打ち破って大和朝廷を打ち立てた逸話に登場する。

この神武帝を守護した烏のことを八咫烏(ヤタガラス)という。

この烏は足が三本で日本サッカー会のシンボルマークとなっている。

しかも男女共に代表ユニホームのブルー色は阿波の藍染の色を採用している。

この八咫烏は実は鳥ではなく賀茂氏というのが現代では通説となっている。


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