熱田神宮
第10節 天皇即位の最大の儀式大嘗祭と天村雲剣
天皇が今上天皇に即位する為の最重要儀式とされるのが大嘗祭である。
大嘗祭といえばその儀式に必要不可欠な神衣とされる麻でできた麁服(アラタエ・・・麻で作られた神衣)が必要となる。
約1300年前から定例とされ、それを取り扱う祭祀族も厳然と世襲化されている。
四国88ヶ所を創設した空海が瀬戸内が橋続きになれば神意は明らかにと預言したように、四国本四架橋の完成した頃から、阿波忌部氏は世相の表舞台に姿を現して来る。
もともと吉野川市は旧麻植郡(山川町、川島町、鴨島町、美郷村)が合併した地域で古代から阿波忌部氏の拠点(忌部郷)である。
また西日本第二峰の剣山も古来は旧麻植郡に属し、現在は隣接の美馬市に属する木屋平村に阿波忌部の直系三木氏(28代当主三木信夫氏)が代々の天皇即位の大嘗祭の麁服(アラタエ)を貢進している。
アラタエ献上は1336年頃の南北朝から江戸時代までの期間は途切れたが、大正から復活した。(理由は南朝が正統な皇室であるということから)明治10年に明治政府は天皇の勅命で南朝が正統とし閣議決定した。
また宮内庁は歴代の天皇の即年を三木家の古文書をもとに再編したともいわれる。
尚、大嘗祭の麁服(アラタエ)献上の儀を執り行わない天皇は古来より半帝とされた。
天叢雲剣が草薙剣の元の本当の名前であることにも言及しておこう。
安徳天皇と天叢雲剣についても少し言及しておきたい。
古事記ではヤマタノオロチの尻尾からスサノオが手にした、剣の最初の名称が天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)とされ、東国征伐の日本武尊の頃には草薙の剣となり、現在は熱田神宮に奉納されている。
織田信長が桶狭間の合戦で兵を上げ、戦勝祈願したのもこの神宮だ。
信長公記によると、信長が戦勝祈願したのは実際には神宮内にある上知我麻神社であり、この神社の名の文字「麻」に注目だが、後述する信長の先祖を垣間見れば全て繋がっていく。
勘の良い方ならこれで安徳天皇と剣、そして落ち延びた先が祖谷・忌部郷と麻、そして剣山の点が全て線で結ばれていることが分かるはずだ。
またスサノオといえばアマテラス大神の弟で荒神として有名で、出雲神話の話となるのだが、一部の地方では残念なこともある。
島根県の方々には失礼だが、現在の出雲大社は明治になるまでは杵築大社(きづきのおおやしろ)と呼ばれていた。
つまり出雲神話の出雲地域とは無関係と言わざるをえない。
むしろ忌部氏との繋がりが濃く、地域によっては徳島県人よりご存知な方が多い。
例えば島根県松江市東忌部町にある忌部神社をはじめ、松江市西忌部町にある忌部自然休養村など。
忌部幼稚園から忌部タクシーまで、徳島の人たちから見たら目からウロコが出るほど驚く話であり、ほとんどの阿波忌部の人々も知らないことが多い。
むしろ島根地方の方々が知っている。
また出雲風土記にはスサノオは一切登場しない。
明治の権力機構が神格化の一環でテーマパーク的に創設した可能性が高い。
ある意味で大きなすり替えである。
歴史はすり替えそのものが分かれば、皇室の伊勢参りの空白1000年のことにも合点が行くということでもある。