まずは初代駐日アメリカ合衆国弁理公使タウンゼント・ハリスがやった日本の金銀交換比率詐欺について
ハリスが日本の下田にいた時の米国の時代背景について
南北戦争の膨大な戦費をヨーロッパから調達していた南北双方は資金繰りに追われていた。
ハリスは民主党員でリーンカーンが親分だが日本の下田にいる傍、北軍の為にせっせと日本の金をかき集めた。
ハリスマジックのカラクリは以下の通りです。
慶長小判(金貨)1枚に対し4枚の交換比率とされた1部銀4枚を、4分の1比率でメキシコ銀と交換し集め、
それで4倍の金貨に交換し続けて北軍へ外貨として送金した。
これが北軍の資金源となり物資両面で北軍を勝利へと導いた。
この外貨でアラスカをロシアからキャッシュで購入することもできた。
このカラクリには日米和親条約がうまく機能したと言われている。
つまりこの条約にある細則によって為替レートをうまく誤魔化されたということ。
米国には失礼かもしれないがこれは紛れもなく大人が中学生を騙す詐欺行為に近い。
幕府はもう瀕死の状態だったが、その後の明治政府も赤子同然だった。
(注釈、この内容の詳細については過去のブログ「空前絶後の愚かな条約1、2」を参考にして下さい。)
http://www.laborcross.com/blog/zi_sun_yi_yan/Blog/entori/2013/6/18_kong_qian_jue_houno_yukana_tiao_yue.html
これで前菜は終わりです。
これからがメインディッシュで大英帝国(以後英国と簡略)による金収奪の手腕とスマートさを書いてみよう。
金は何もハリスが根こそぎ持って行ったわけではない。
残るは徳川埋蔵金だけになると書くと、都市伝説になる今日の日本が哀れでなりません。
英国は日本の歴史を含めよく研究し、徳川埋蔵金も虎視眈々と狙っていました。
英王立図書館を少しリサーチすれば誰でもわかってきます。
明治政府は英国に上手く言い寄られて、埋蔵金もろとも全国から最後のとどめとばかり雑巾を絞るように金を回収されます。
その規模は100万トンから120万トン、勿論集めたのは幕末から英国に従順な明治維新政府の薩長の志士たち。
ハリスが詐欺めいたことをやるから、英国の初代駐日イギリス総領事であるラザフォード・オールコックとも険悪な関係になる。
実際はオールコックが横浜を海外貿易港として開港させ拠点にしようとし、それにハリスがケチをつけたからだという。
しかし、事実上明治政府になってからは全て英国のコントロール下に置かれたのが我が国でした。
英国が演出した王政復古も、幕府軍と官軍の内乱による戦争も予想外にあっけなく早く終わり、双方から得られる利益も微々たるものだった。
そこで英国は一計を案じ明治政府に貨幣の鋳造を進言し、香港から英国人技師を呼び鋳造機を輸入させ、造幣局が大坂城内に設置された。
協力したのはアヘン戦争で清国から集めた膨大な金銀をマネーロンダリングするために、清国から分捕った香港に設置された香港上海銀行です。
もちろん現在も健在で近年では別のことで話題満載な銀行です。(ネットでググって見てください)
そして今だにメディアもほとんど誰も語らないが日本初の造幣局初代局長も英国人だった。
もう1度書きます、これは英国ではなく日本の造幣局の話ですよ。
この造幣局が鋳造した金貨が現在日銀の博物館に展示されている。
さらにこの鋳造された金貨は為替取引のみとした。
さすが英国賢いですね、そうすれば日本以外の諸外国がこの金を外貨として吸い上げることが出来る。
この為替銀行が大東亜戦争(まだ太平洋戦争?)の終戦1945年8月15日まで稼働していた横浜正金銀行である。
終戦後この銀行はマッカーサーの命令で戦犯扱いとしGHQによって潰されました。
開業に尽力していただいた英国、どうも長い間有難うございました。
今日では正金銀行の後継銀行として、東京の千代田に本部を置く三菱東京UFJ銀行があります。
総資産を米ドルで表示する銀行ですが感の良い方ならもうお分かりですね。
まさしく歴史は繰り返すですね。
とにかく昭和の後期から平成時代にメディアで放映した徳川埋蔵金のスペシャル番組なんて本当にシャレになりませんよ。
これでウオームアップは終了し、次回からは明治維新を演出した大英帝国の外交官たちにスポットを当てて見ます。
また大河ドラマと同時並行で考察して見ます。
最後までお読みいただき有難うございます。